名鉄瀬戸線、旧線跡を歩く 2004.06.30

お堀を走っていた電車を探しに

今回は名鉄瀬戸線の旧線跡を歩いて見ることにした。歩くといってもそれなりに距離があるので、
自転車を使うことにした。
旧線のルートや駅の場所の断定には、徳田耕一著の「名鉄の廃線を歩く」を参考にさせていただいた。
名鉄瀬戸線は焼き物の町尾張瀬戸と栄町を結ぶ路線で、現在は名古屋近郊圏を走るアーバンライナーになっているが、なんとその昔は名古屋城のお堀を走っていたという。

お堀の中を走っていた堀川〜土居下の間は、昭和51年2月14日で廃止。栄町乗り入れは同53年8月20日で、清水〜土居下(仮)駅間が廃止された。
実際には大曽根〜清水間も高架化され、実際には旧線の上を走っていることになるが、今回は高架線の途中駅の尼ヶ坂から出発し、堀川を目指すことにした。上は現在の尼ヶ坂駅で、ゆるやかなカーブをしているが、旧線はもっとカーブがきつかったようだ。

しばらく線路に沿って側道を走る。やがて清水だ。
清水駅は国道41号に面しており、かってはここで市電との平面交差が見られたという。いまはその面影はまったくない。


41号の信号を超えしばらくすると、土居下(仮)駅に差し掛かる。この辺りで新線と旧線は左右に分かれてゆき、左側の新線は高架を降り、やがて地下へと入っていく。

旧土居下駅がわからず右往左往

土居下(仮)駅は場所を断定するのが難しく、何度もいったりきたりして確認した。
それでもはっきりはしなかったが、おそらく下の写真の中央部分がそれだと確信した。旧線は右の道の方角へと進む。

やがて道があきらかにそれとわかる形で、左のカーブしていく。間違えなく旧線の跡だろう。写真では中央部分のカーブだ。カーブ部分を進む。まるで電車に乗っている気分だ。

いよいよお堀区間に突入

柳原商店街の道路を越えたところが土居下駅跡だ。ここからお堀の区間だが、現在は夏草に覆われ、まったく駅の跡を想像できない。
線路はそのままお堀の中を進むが、道路の方は上り坂となり現在地下駅になっている、東大手駅を通過する。東外堀町付近は道路とお堀の間に民家が立て込んでおり、様子は伺えない。外堀通りに出たところで、またお堀が見渡せるようになる。この地点は半径60mの急カーブがあった地点だが、ここも完全に夏草に覆いつくされている

外堀通りは歩道も広く走りやすい。しばらく行くとやがて大津通りにぶつかり、ここが大津町駅のあったところだ。その昔の特急や急行はここがターミナルになっていたようだが、この部分のお堀はほかの場所に比べ、広くなっており駅舎もゆったり建てられていたことが想像できる。

大津町駅跡には名古屋鉄道の立て札も

そして大津町駅跡には、なんと当時の階段まで残っていた。(写真ではわかりにくいが、「私有地につき立ち入り禁止、名古屋鉄道」の立て札も見える)

大津町駅跡を確認し、そのまま外堀通りを進む。やがて本町橋があり、ここはあの有名なガントレットがあったところだ。橋の橋間がせまく、ここを通すため特殊な配線になっていたことがわかる。

さらに進む。伏見通りを越え、道は下り坂になる。景雲橋東の交差点を右に入ったところが、終点堀川駅のあった地点だ。ここから堀川まではすぐだ。

堀川駅跡は駐車場に

堀川駅跡は現在駐車場として使用されており、面影はまったくない。

写真の右側が駅舎があった部分だそうだ。左側部分には貨物用のホームもあったようだが、いまはまったくわからない。自転車を降り、しばらく瀬戸方向に歩いてみる。以前はここで犬釘を拾うこともできたようだが、そんなものはもう落ちていない。

自転車を降りたところまで戻り、本日の散策を終えることにした。

廃線跡を追いかけてみて、あらためて思ったことは、やはりこの区間を実際に乗ってみたかったということだ。
お堀に中を走る気分はどんな感じだったろうか。半径60mのカーブを車輪を軋ませながら進む感じ、ガントレットの通過は‥‥
想像はできるが、現実には乗ることが出来ない。すでに30年近く前に廃止になっているのだから!!


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