名鉄線全線完乗の記録   2000.09.09−2003.02.13

最初は瀬戸物市に行くために

名鉄線は2001年ごろから本格的乗り始め、完乗するのに約2年かかった。名鉄は日本で2番目(多くの廃線が出て現在は3番目)の路線距離を誇る私鉄であるが、合併を繰り返して路線距離を拡大してきたため、支線、枝線が多く、全線を乗り通すには2年の歳月がかかってしまった。
初めて乗ったのは、名鉄瀬戸線である。2001年の9月で、ちょうど瀬戸物市が開催されており、栄町から尾名鉄瀬戸線張瀬戸まで乗車した。
尾張瀬戸の駅舎は、昔ながらの雰囲気を残すすてきな駅舎だったが、その後駅舎を移転し、新駅が出来てしまったため、結果的には旧駅に降りたのは、これが最初で最後になってしまった。


廃止直前の谷汲線を乗車
2001年10月1日、名鉄は以前から赤字続きだった、谷汲線、八百津線、揖斐線などの廃止を行谷汲線った。
ちょうどテレビでも廃止間近のニュースを取り上げており、9月29日家族で谷汲線を乗りに出かけた。名古屋市内から名鉄を乗り継ぎ、やっと黒野まで到着。ここで谷汲線に乗り換えた。黒野の駅は最後の谷汲線に乗車するために、各地からやってきた人であふれていた。古めかしい木造の車両に乗り、終点谷汲を目指した。途中の沿線はカメラの放列であふれていた。

結局当時に廃止された、揖斐線、八百津線、竹鼻線には乗車できず、心残りとなった。
そしてこれをきっかけとして、名鉄線の完乗をきめた。

名鉄線完乗を決意!!

2002年は5月、6月、8月、11月と計4回、2003年は2月の1回で、ここで完乗を達成した。最後まで残っ東名古屋港ていたのは、築港線の大江−東名古屋港間で、この路線は朝夕しか電車が走らないため、乗るのに苦労した。
その後2003年3月30日に小牧線、味鋺−上飯田間の新線が開通し、開通当日に早速乗りに出かけた。旧線の味鋺−上飯田間の地上区間は2002年6月19日に乗車していたが、今回は地下鉄名城線と平安通で結ばれ、味鋺までは地下区間となった。

別れを惜しみ三河線末端区間を乗車

その後名鉄は2004年の3月いっぱいで三河線の末端部分、猿投−西中金間、碧南−吉良吉田間を廃止した上飯田連絡線
通常山線、海線と呼ばれ、最後はレールバスが走っていた区間だった。
特に海線の碧南−吉良吉田間は、沿線の景色もよく、名鉄全線で一番好きな区間だった。最後のお別れは2004年2月18日で、以前の谷汲線廃線の騒ぎのような時期にお別れをしたくないため、あえて1ヶ月以上早く出かけたのだが、すでに車内はそのスジの客であふれていた。
名鉄は岐阜市内線などの路面電車を廃止にする考えで、すでに岐阜市などと話し合いに入っている。


名鉄三河線次に岐阜を訪れたときは、すでに路面電車がなくなっているのだろうか?(残念なことに2005年3月31日をもって、岐阜市内線などの路面電車はすべて廃止されてしまった
よく人から、そう何回も名鉄に乗って面白いのかと聞かれることがある。
名鉄の魅力は、名古屋本線のような高速で走る路線と、山間をのんびり走る路線、路面電車、モノレールと、バラエティーに富んでおり、何度乗っても飽きない。
特に末端の支線、枝線部分の魅力は語りつくせない。これらの線が末永く走っていることを願うものである。


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